ほしいぬ

書いたり、詠んだり。

第21回短歌の目7月に参加します

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*写真はフリー画像です


暑いですねー。

卯野抹茶様、皆様、今月もよろしくお願いいたします。



短歌の目7月


7月題詠 5首

1. 透

雨粒の滲む画用紙水彩で君を写した夏が透けゆく


2. ホイップ

もこもこと泡だつネットどこまでも孤独は白くホイップのごと

3. 果

芳香を放つ果実に頬寄せてちくと刺される小さな棘に

4. ペンギン

白黒のペンギン破線よちよちと海の中では疾風(はやて)となりぬ

5. 短夜

短夜にまた涙する届かない夢ならいっそ見失うべき


テーマ詠 

あつい

時々は嫌われるよな生き方を選ぶほどには年を取りけり

君が手はいつもわたしを引き寄せる落ちないように逃げないように

汗ばみて拭いきれない悔しさは瞼の中で白刃と化す

頬張ってぎゅいんとのびる白パンのサンドイッチが看板の店

我が掌(たな)のあまりに薄く頼りなく子らの虫捕る指ぞ頼もし

特別お題「『選択』と『年齢』」

忙しいのがいろいろ落ち着いて、少し時間ができたので、特別お題「『選択』と『年齢』」で書いてみます。

 

わたしが自分の人生で行った大きな選択と、それをした年齢は、下記の通りです。

34歳以降のことは、選択というよりは運命的な流れであるように思うので、書きません。(選択をしていないわけではありませんが、自分の意志だけで決められる範疇を超えていることが多かったので)。

 

◆18歳 親元を離れ上京

◆24歳 最初の仕事を辞めて実家へ戻る

◆25歳 被災。再び上京、再就職

◆27歳 結婚

◆34歳 退職

 

このなかで、いちばんパワーが要ったことは、18歳の時の実家を出たこと。

人生にとって転機となる大きいことは、25歳の時の被災と再上京、再就職したこと、です。

どちらも親に猛反対され、勘当とか絶縁とか覚悟しました。

お金はなく、ただ若さだけで、意思を貫きました。助けてくれる人々、そして最終的には親の許しと助けのお陰で叶いました。

 

家は出てよかったし、地元を離れてよかったです。わたしにとっては。

 

それでも、家ってなんだろう。家族とはなんだろう。親子はどういう関係が望ましいのだろう。故郷はどこだろう。と、

今も考えながら生きています。

 

わたしは多分コロコロと転がる石で、あちこちにぶつかって、今は居所が落ち着きました。多分ここで生きてここで死にます。

その選択をしたというか、そういう流れになって定まったのは、38歳の時です。

 

わたしはこれからも、許される限りは、選択と年齢を重ねることでしょう。

加齢に伴うあれこれに、あーあ…と思うこともあるけれど、なるべくほがらかに暮らしたいと思います。

にこにこ優しい、笑い皺のあるおばあさんになれたらいいな。

第20回短歌の目6月に参加いたします

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短歌の目第20回!おめでとうございます。

卯野抹茶様、皆様ありがとうございます。

6月は、良い月でありました。

感謝。

 

短歌の目 6月

http://tankanome.hateblo.jp/entry/2017/06/10/220329

 

6月題詠 5首

1. クリーム

クリームを泡立てるたび歓声を上げる子らとの日々ぞ愛おし

2. 溝

溝よけてうまく渡ったつもりでもふくらはぎには泥のしくじり

3. 万緑

万緑の中にあなたを閉じ込めるただ一瞬を許してほしい

4. 雨

くちづけて雨の匂いの君が指わたしの髪をしっとりと梳く

5. きみ

きみどりの下着できみをおどろかす企みはここ胸骨の裡(うち)

 

テーマ詠

「衣服」

纏えども尽きぬ迷いと欲望は袋に詰めて月曜に出す

わたくしのかたちをみたらそのあとで忘れてもいい今日のスカート

制服を着た子のこころ見えなくてただ整へる折り目正しく

このシャツを着た日のことは忘れない写真なくてもブログなくても

知らぬまに窮屈になる子供服まぶしい命包んでやさし

 

第19回短歌の目五月に参加します

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ああ五月。

卯野様、皆様、いつもありがとうございます。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

短歌の目 5月 

 

http://tankanome.hateblo.jp/entry/2017/05/10/000000

 
1. 青葉
我が裡の怒り宥めて空仰ぐまなこの裏に青葉朽ちゆき

2. くつ(靴、屈、窟など他の読みかたも可)
あえぬ日が続き靴箱整理するかたほうだけがすり減っている
大切に包んでもらった日も在るとカーネーションは顔を顰める

4. 衣
心なき世にもあなたのやさしさが衣通姫(そとおりひめ)のごとく洩れいづ

5. 夕なぎ
いつまでも果てぬ戯れ君とならここは夕なぎ舫綱(もやいづな)解く
 
テーマ詠
運動会
 
代休に靴とたわしを干している順番通りふと笑い出す
 
カメラ越し瞬かぬよう息止めてひとりひとりの時をきりとる
 
行進の角曲がるときふんわりといまの生徒は笑ってもいい
 
 
 
 

 

ベストオブユー

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*写真は無料素材をお借りしました

 

まりおさんの記事を読んで、触発されたので書きます。

http://bakazee.hatenablog.com/entry/2017/05/27/161502

 

フーファイターズというアメリカのロックバンドの曲に、「ベストオブユー」

というのがあります。

こんな曲です。

 

https://youtu.be/h_L4Rixya64

 

メロディも歌詞もよくて、特に歌詞を載せたいのですが以前それをして運営から注意を受けましたのでやりません。

元の歌詞および和訳してくれているサイトがあるので、興味がある方は調べてみてください。

 

歌詞とか詩とか言葉全般は、発せられた瞬間いろんな解釈をされます。

その解釈が完全に正しいということはなくて、発した側の本意から外れた解釈をされることもままある。

言葉というのは、その言葉から受け手が何を受け取ったか、どう動かされたか、ということでしか、受け止められないのかな、とも思います。永遠のすれ違いもあるかもしれません。

 

で、わたしがこの曲から受け取ったこと。

それは、

「自分の一番いいもの(ところ)を人にゆだねるな。もし誰かがそれを壊しにくるなら守り抜け。

自分の一番いいものをもし自分自身が壊したり潰したり殺したりしそうになったなら、自分自身からその大切なものを守れ。」

ということです。

 

わたしはいま幸いにも生きていますが、それなりにいろんなことがありました。

外から潰されそうになったこともあれば、自分が自分を認められずに、潰れそうになったこともある。

そこから、生き残ってきて、ここにいます。大げさだけど。 

みんなそうなのではないかと思います。程度の差こそあれ。

 

自分の一番いいものなんてない、自分にはいいところなんて何にもない。この先生きていてもいいことがあるとは思えない。と思うときは、自分が自分を潰しにきている。だから、潰しにくる自分から自分を守らなくちゃいけない。そのときに、人の助けを借りることは恥ずかしいことでも申し訳ないことでもありません。

あなたがここにいることで、わたしがここにいることで、かけがえのないものがいま生まれている。常に生まれ続けている。寿命が尽きるその日まで、それは続く。

自分では気づくことができなくても、ベストオブユーは絶対にある。そう思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

第18回短歌の目4月に参加します

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短歌の目 四月


今月も参加させていただきます。
卯野抹茶様、皆様、いつもほんとうにありがとうございます。
拙い歌ですが、詠むこと&皆様の歌を読むことはわたしの大切な喜びです。
今月も機会を頂きうれしいです。
どうぞよろしくお願いいたします。

http://tankanome.hateblo.jp/entry/2017/04/10/000000

1. 皿

欠けた皿継いで使へる英国は人も大事にすると信ずる

2. 幽霊

幽霊になると思へばそんなにも淋しくはなし焼場の煙

3. 入

スイッチを入れた指先弄ぶいつかは切れる恋と知りつつ

4. うそ(嘘、鷽、獺も可)

鷽の胸赫らむごとに取り替へて我は嘯く「いまがしあはせ」

5. 時計

時計みて君想う癖直らないたとえ今すぐこの世果つとも

テーマ詠

「新」

しっかりと胸を包みて美しく背筋を伸ばす君と逢へる日

襟首とカフスをぴんと整へて息子にそっとエールを送る

重ねても会議は慣れず凍りつく人々は海わたくしは何

幾たびも名前を書いて思い出す幼い頃の頭(こうべ)の匂い

明るい日窓の光に起こされる今日という舟さあ飛び乗って


友情と恋情、生きること(クーリンチェ少年殺人事件映画感想文

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朝起きると雨が静かに降っていました。窓を開けたら空気が柔らかく湿度が心地よく、思わず深呼吸をした。

今年は桜をみに行けなかった。その代わりに、先日観た映画のことを書こうと思います。


「クーリンチェ殺人事件」4時間ほどの台湾映画。2200円。とても良かった。面白くて長さを感じませんでした。


この映画、昔家でビデオを観た時は画面が暗くてわからなかった。内容もほとんど忘れてしまっていた。今回ほぼ初めて観るような心地で、でもああここは覚えている、と思い出しながら、まるで懐かしい場所を訪れるように、映画の世界にひきこまれました。


1人でも多くの方に映画館に足を運んで観てほしいので、あまり内容には触れません。また、どんな映画か、一言では言えない作品です。感想文と言いながら、すみません。


1つだけ言わせてもらうならば、この映画には、生きるということ、友情、恋情が瑞々しくリアルに描かれています。主人公を取り巻く家族(父母兄1人姉2人妹1人)、友人、知人、敵対する人々、恋人、隣人、先生…

全ての人々の人間像と、それぞれとの関わりが、きちんと描かれている。どの人物も魅力的です。そして魅力とは善悪ではない。

そして、物語の流れが、結末が、どうしてそうなってしまうのか、とても納得させられる。


映画の中で起きること、描かれること全てが必然なのです。謎を孕みながらも。偶然が重なる恐ろしさや、そうはならなかった可能性も示しながらも、どうしようもなく、迫ってくるのです。

おかしくて、ひりひりして、切なくて、あたたかく、恐ろしく、悲しい。でもどこか希望があります。

観終わったあと、ああ、生きていきたい、と思える映画です。

また、自分の人生と、日本という国を、考えるきっかけにもなるかもしれません。

ぜひ、映画館で観てください。


映画から少し離れて、友情と恋情について。

わたし自身は、あまりこの2つに区別がありません。そんなことを言うと変な目で見られそうですが。

どちらも他者を好きと思う心、だと思うからです。生きていてお互いに魂が惹きつけられる現象だと思っています。そして、一人きりでは成り立ちません。お互いに通い合ってこそ、友情、恋情、と思っています。一方的に思うのは、思慕の念です。わたしにとっては。そう定義しています。


「男女間に友情は成立するか?」という話がありますが、わたしにとっては、異性間でも同性間でも、友情も恋情も成立すると思います。異性と同性、友情と恋情に線引きをすることにあまり意味があるようには思えません。

強くお互いに惹かれ、肉体関係を持ったり、持たなくとも、四六時中一緒に居なくてはいられないほど好きならば、またはお互いのことがお互いに心を離れず埋め尽くされるようであれば、お互いにかけがえのない存在で相手のためなら自らを投げ出すならば、それは友情なのか恋情なのか、もはやどちらでも同じではと思われるのです。

また、もっと冷静に距離を保てる友情もあれば、恋情もある。淡々と穏やかなのが友情で、燃え上がるのが恋情というのはわかりやすいのですが、それに当てはまらない場合もたくさんあると思います。


映画の話に戻ると、主人公が属する学校の少年の世界では、友情が尊ばれ、恋情はそれよりも低いものと見做されています。男尊女卑的な考えもあるのかもしれません。女など理解する必要はない。大人の世界でもそれらしいことが描かれています。

しかし実際は、女性の持つ力や影響は計り知れず、男性は女性に惹かれ、男性の持つ弱さ脆さもきちんと描かれています。

女性もまた、弱さ脆さがあり、お互いを理解しまた理解できず悩みながらも助け合いすれ違い愛し合い生きていく。その描写がとても良いです。


親子、夫婦、兄弟姉妹、友人、知人、全ての関係に通いあい流れるもの。生きていくことはその交流を限られた時間の中で絶えず持つことなのかもしれません。決して孤独ではない。支え合って生きている。映画を観てそのことを改めて実感し、深く胸打たれました。


甘ったるくはないけれど、愛に満ちた映画です。

ぜひ、観てください。