ほしいぬ

書いたり、詠んだり。

ゆかかな

突然ですが、短編小説を書きました。

主催者さんの、夏休み企画、納涼怖い話を書く企画に興味を持ったからです。

しかし、規定の5000字をたぶんはるかに超え、しかも、怖くない。というあかーん!なシロモノが出来てしまいました。すみません。

それでも許す。という物好きな方のみ、読んでいただければ幸いです。

いいの?ほんとに?

では、よろしくお願いいたします。

 

「ゆかかな」

前にこの宿に佳奈と来たのは、もう20年も前のことだ。佳奈と私は同い年で小中高と12年間同じ学校だった。全然違うタイプなのにうまがあって、仲良しだった。
違う道に進むことになり、卒業旅行しようよ、と2人で探して選んだのが、この海が聴こえる宿だった。


海が見えるホテル、はいくらもあるけれど、海が聴こえる宿なんて渋くていいじゃん。と佳奈は笑った。
海が聴こえるってどういうことよ?海辺の民宿ならみんなそうなんじゃないの?とわたしは突っ込んだが、民宿ではなく大正時代に建てられたレトロでシックな建築の文豪の宿というので、わたしも賛成したのだった。

 

わたしたちは本を読んだり文や詩を書くのが好きで、小学部の頃からいわゆる文芸部的な活動を細々と続けていた。わたしたちの他にもメンバーはいて、皆に声をかけようかと思ったのだが、佳奈は、やだめんどくさい。由夏だけでいいよ。2人だけで行こうよ。と言って、わたしはそれが妙に嬉しくて、そんならそうしようか。とこっそりと計画を進めたのだった。
他のメンバーはお互い干渉しないさっぱりとした人々だったので、別に隠す必要もなかったのだけれど、それでもなんだか後ろめたい気がして、秘密にしていた。

 

宿に着くと、確かに立派な建築で、優雅な曲線を描く階段はよく手入れされて黒光りしているし、古く巨大な柱時計は未だにきちんと時を刻んでいた。
「学生さんですか?仲がおよろしくていいですね」貫禄のある女主人はにこにことわたしたちを出迎えてくれ、仲居さんはわたしのお菓子と本でぱんぱんのリュックと佳奈の小ぶりで洒落たボストンバッグを二階の奥の部屋まで運んでくれた。

 

「どうしようか。ご飯までちょっと時間あるね。先にお風呂入っちゃう?それともあとにする?」
佳奈がわたしの目を覗き込んで言った。話しかけるとき、佳奈は不必要に距離を詰め、ぐっと顔を寄せて目を覗き込む癖がある。


初めの頃は、何か真剣な打ち明け話でもあるのかと身構えたが、単なる癖と知ってからは慣れた。
わたしを見つめる佳奈の澄んだ美しい瞳。乳幼児のように、狂人のように、そこには邪気がなく、何も浮かんでいない。佳奈は目に表情が無いのだ。黒目がちなせいかもしれないけれど、何も読み取れない目でにこにこしている佳奈は、美しいのに人形めいていて、不気味にみえるときもあった。実際陰口を言う子もいた。単に佳奈はそういう顔立ちで、恐ろしいほど何も考えていないというだけだった。
わたしは反対で、何も考えないということができない。一人きりで黙っているときも、常に頭の中で何人かの自分が会話をしている。そのことを佳奈に言うと、異物を見るような物凄い目でみられた。それ、佳奈は耐えられない。自分がうるさすぎてあたまがおかしくなっちゃう。佳奈はあっさりと残酷に、そう言い放った。
うるさくて悪かったわね。今のところ頭はおかしくなってないわよ!とわたしは憤慨した。
そんな小さなケンカじみたことも、今はとても懐かしく思い出す。

 

「わたしね、スイッチを入れないと考えられないの。スイッチを切るとゼロなの。ほんとになんにもかんがえてないの。あたまがすこしおかしいのかな?」
ある日意地悪な子から当てこすりを言われたか佳奈は、いつになく真剣にわたしに問いかけた。
「誰でもそうじゃないの?放心状態っていうかさ。佳奈はそれがちょっと極端なだけじゃないかな」
わたしはそう答えたが、確かに、スイッチの入った状態の佳奈は年相応の生き生きした若い娘なんだけど、オフ状態の佳奈は少しばかり変に見えた。うまく言えないけれど。まるで息をしていないかのように見えた、といえばいいだろうか。 

 

「ねえ、お風呂一緒に入ろうよ。」佳奈はにこにこしながら言った。わたしたちの学校は中等部から全寮制でお風呂は共同だったから、一緒に入ることはなんの抵抗もなかった。2人だけ、っていうのはまぁなかったんだけど。
そして、わたしはかなり視力が悪かったので、コンタクトや眼鏡がなければろくに見えなかった。人の裸なんて見るのは気恥ずかしいが、どうせ見えないんだし佳奈がそうしたいならいいや、と軽くOKした。

 

小さな宿だから風呂も狭くて、シャワーは二台だけ、湯船もせいぜい5人までという規模だった。どこもかしこも清潔に磨かれてはいたが、とにかく古かった。抽象画のような意匠が描かれたタイル貼りの床も楕円形の湯船も、見たことのないデザインで、かけていた眼鏡は一瞬で曇ったが、写真に撮れば良かったと思った。しかしあきらめて、眼鏡をはずす。

佳奈は背中を向けてぱっぱと服を脱ぎ、お先にぃ!と風呂場の戸を開けた。わたしも慌てて身支度し、後を追った。

それぞれに体を洗い、湯船に入る。佳奈は細くて白かった。まぁそんなことは服を着ててもわかるんだけど、脱ぐとその細さ白さが際立った。はっきりとは見えないけれど。
わたしの肌は浅黒く、手脚はまぁほっそりとしている方だが胴体は佳奈よりだいぶんボリュームがあった。でぶではないけどね!いいなぁ佳奈は細くて。

 

「うー!極楽極楽!気持ちいいねぇ!」佳奈はおっさんのような声を出して伸びをした。
「ほんとだねー。」
湯は柔らかく少し熱めで体を芯から温め、ほぐしてくれるようだった。
わたしたちはその後何も喋らず、のぼせるたちで長湯のできないわたしは先に出た。
海の音がしていた。風呂の内でも外でも。風の音と波の音。いつ尽きるともなくごうごうと、寄せては返す音だった。


******************

20年後の今日、佳奈とわたしは再会した。驚いたことに、アラフォーになるというのに佳奈は相変わらず細くて白かった。そしてレーシック手術を受けたわたしは、はからずも佳奈の体をつぶさに見てしまうことになった。あの時と同じお風呂場で。


そこには、18歳の佳奈がいた。一欠片も余分な肉のない、しみもしわもたるみもなく水を弾く滑らかな若い肌の、美しい佳奈。
そう、佳奈は美しかった。
メイクをしているときはわからなかった。年相応に老けていた。
「年をとらないなんてありえないでしょ?キモいよね。下手すりゃ化け物扱いで忌み嫌われて命にかかわるし。そういうメイク、そういう姿勢、髪も声も年相応にできるよ。うちの一族は早くからその方法を教わり身につけるの。」
「…まさか。からかってるのよね?」
「違うよ。由夏のことが本当に好きだから、打ち明けるの。うちらはそういうたちの一族なのよ。すごく昔からいる、ね。」
「…」
佳奈はわたしの知ってる佳奈でありながらそうではなかった。怖い。どうしよう。でも体が動かない。


「こっちへおいでよ。由夏。」
見えない強力な糸で引き寄せられるようにひとりでに体が動き、由夏の隣へ行く。
「こっち側へ来て。一緒に、ずっと一緒に、仲良くしよ。由夏は佳奈が好きなんでしょ?このままだと別れの時はすぐ来るんだから。」
佳奈の瞳が、虚無の目がわたしの目を覗き込む。じいっと。もう逃げることはできない。わたしは観念して目を瞑った。
この上もなく柔らかい佳奈の唇が、わたしの唇を覆い、少しずつ移動して首筋でひた、と止まった。

 

*****************
わたしはそれからずっと佳奈と一緒に、時のない国を生きている。同じ日本でありながら、時があるのとないのとではまるきり別の次元だ。わたしたちは歴史に興味がある。一緒によく旅をする。今の仕事はコンビニのアルバイトがほとんどだ。常に求人があるし、辞めやすいし。
家族は捨てた。捨てるしかない。不老不死になったのだから。
佳奈さえいれば、いい。 

 

わたしが心底佳奈を好きだということを、どうして見抜かれたのだろう?
「わたしたちには、そういう能力もあるの。一緒に永遠を生きてくれるパートナーを選ぶ能力。佳奈には、由夏がそうだって、すぐわかったよ。でもずっと待ってた。由夏が悔いのないように。準備ができるその日まで。」
佳奈はなんでもないことのようにそう言った。

 

不公平だと思うのは、佳奈の時が18で止まっているのに対し(なんと、自分の止めたい年齢で止められるのだという)わたしの時は38歳で止まっているということだ。佳奈はそこがいいのだという。
「由夏の中年の体、最高に素敵。色っぽくて適度にくたびれてて。それに、結婚とか出産とか育児とかも経験したでしょ?いいなぁ。わたしもそこまで待てばよかったな。待ちきれなくて止めちゃった。でも違う方が楽しいでしょ?」

 

佳奈は残酷だ。佳奈が憎い。でも離れられない。わたしは佳奈を愛している。ずっと前から。たぶん初めて会ったその時から。

 

もう何度目か忘れた夏が、ことしも過ぎてゆく。
18の時と同じ佳奈が、隣で微笑む夏。
ひそかにずっと夢見ていた、2人きりの夏。
寄せては返す、海の音。
(了)