ほしいぬ

書いたり、詠んだり。

友情と恋情、生きること(クーリンチェ少年殺人事件映画感想文

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朝起きると雨が静かに降っていました。窓を開けたら空気が柔らかく湿度が心地よく、思わず深呼吸をした。

今年は桜をみに行けなかった。その代わりに、先日観た映画のことを書こうと思います。


「クーリンチェ殺人事件」4時間ほどの台湾映画。2200円。とても良かった。面白くて長さを感じませんでした。


この映画、昔家でビデオを観た時は画面が暗くてわからなかった。内容もほとんど忘れてしまっていた。今回ほぼ初めて観るような心地で、でもああここは覚えている、と思い出しながら、まるで懐かしい場所を訪れるように、映画の世界にひきこまれました。


1人でも多くの方に映画館に足を運んで観てほしいので、あまり内容には触れません。また、どんな映画か、一言では言えない作品です。感想文と言いながら、すみません。


1つだけ言わせてもらうならば、この映画には、生きるということ、友情、恋情が瑞々しくリアルに描かれています。主人公を取り巻く家族(父母兄1人姉2人妹1人)、友人、知人、敵対する人々、恋人、隣人、先生…

全ての人々の人間像と、それぞれとの関わりが、きちんと描かれている。どの人物も魅力的です。そして魅力とは善悪ではない。

そして、物語の流れが、結末が、どうしてそうなってしまうのか、とても納得させられる。


映画の中で起きること、描かれること全てが必然なのです。謎を孕みながらも。偶然が重なる恐ろしさや、そうはならなかった可能性も示しながらも、どうしようもなく、迫ってくるのです。

おかしくて、ひりひりして、切なくて、あたたかく、恐ろしく、悲しい。でもどこか希望があります。

観終わったあと、ああ、生きていきたい、と思える映画です。

また、自分の人生と、日本という国を、考えるきっかけにもなるかもしれません。

ぜひ、映画館で観てください。


映画から少し離れて、友情と恋情について。

わたし自身は、あまりこの2つに区別がありません。そんなことを言うと変な目で見られそうですが。

どちらも他者を好きと思う心、だと思うからです。生きていてお互いに魂が惹きつけられる現象だと思っています。そして、一人きりでは成り立ちません。お互いに通い合ってこそ、友情、恋情、と思っています。一方的に思うのは、思慕の念です。わたしにとっては。そう定義しています。


「男女間に友情は成立するか?」という話がありますが、わたしにとっては、異性間でも同性間でも、友情も恋情も成立すると思います。異性と同性、友情と恋情に線引きをすることにあまり意味があるようには思えません。

強くお互いに惹かれ、肉体関係を持ったり、持たなくとも、四六時中一緒に居なくてはいられないほど好きならば、またはお互いのことがお互いに心を離れず埋め尽くされるようであれば、お互いにかけがえのない存在で相手のためなら自らを投げ出すならば、それは友情なのか恋情なのか、もはやどちらでも同じではと思われるのです。

また、もっと冷静に距離を保てる友情もあれば、恋情もある。淡々と穏やかなのが友情で、燃え上がるのが恋情というのはわかりやすいのですが、それに当てはまらない場合もたくさんあると思います。


映画の話に戻ると、主人公が属する学校の少年の世界では、友情が尊ばれ、恋情はそれよりも低いものと見做されています。男尊女卑的な考えもあるのかもしれません。女など理解する必要はない。大人の世界でもそれらしいことが描かれています。

しかし実際は、女性の持つ力や影響は計り知れず、男性は女性に惹かれ、男性の持つ弱さ脆さもきちんと描かれています。

女性もまた、弱さ脆さがあり、お互いを理解しまた理解できず悩みながらも助け合いすれ違い愛し合い生きていく。その描写がとても良いです。


親子、夫婦、兄弟姉妹、友人、知人、全ての関係に通いあい流れるもの。生きていくことはその交流を限られた時間の中で絶えず持つことなのかもしれません。決して孤独ではない。支え合って生きている。映画を観てそのことを改めて実感し、深く胸打たれました。


甘ったるくはないけれど、愛に満ちた映画です。

ぜひ、観てください。