ほしいぬ

書いたり、詠んだり。

こころからだことば

自作の振り返りや、10月題詠の皆様の作品の感想を書きたいのですが、あっぷあっぷでできません。

趣味のブラスの演奏会が近いのと家族の用事で秋は忙しいのでほんとに自分はシングルタスクなのだと思う。情けない。反省。


でもこのところ常々思い、どうしても書きたいことがあるので書きます。これは私自身の個人的なことで、特定の方や、どなたかのブログに関してのことではありません。


人は体と心でできている。そしてその2つは1つである。心は、言葉によって表すことができ、同時に、言葉では表すことができない。わたしはそのように考えています。


親友が突然失踪したことがあります。わたしはその人が死んでしまうのではないかと、必死で家族や友人と連絡を取り、探しました。無事見つかり、医療機関にかかって入院治療を受け、今は元気に暮らしています。診断名は、統合失調症でした。


うつ病とともに生きている友人や、夫がうつ病で働けなくなったり、夫が自殺未遂を何度かしている友人がいます。わたしは彼女達と話をしたり、医療機関の相談に乗ったりしたことがあります。


わたしの子供達の通う学校には、障害のある子のクラスがあります。場合に応じて、通常のクラスで授業を受けたり行事を一緒にします。

わたしが子供の頃にも、それはありました。でも、当時はよく知られず、障害とは認定されなかった、発達障害の子たちは、普通クラスの中で困惑していました。その周りの私たちもです。それは、お互いにとって、つらいことでした。もしあの時ちゃんと理解して適切な対応がとれたなら、どんなによかったことだろうと思います。


わたし自身についても、精神疾患になる可能性は十分あります。それは誰にでもある。その時、そのことをちゃんと受け止め、理解して、医療機関にかかれるようになりたい。隠したり悩んだりせずにすむ社会であってほしい。偏見や差別を受けたくない。

もしわたしの子供に障害があったら、そのことを受け止め、理解し、適切な医療と教育を受けさせたい。偏見や差別を受けたくない。もしそうされるなら、わたしはたたかうとおもいます。


生きていればいろんなことがあり、誰の心にも傷があると思います。思考の傾向や行動の傾向も。それをやみくもに異常と決めつけ、不安を煽るような風潮はよくないと思う。

しかしそのことと、おかしいな?と思ったとき適切な対応がとれない社会にするのは違うことだし、そうしてはダメだと思います。


近所で何人かの女性にストーカー行為を働き、家宅侵入をするお爺さんがいました。妄想があり、家族に暴力もふるい、明らかに専門的な治療が必要な状態でした。でも家族はそれを認めなかった。娘の仕事に差し障るからという。そのくせ警察には通報しないでと。被害にあった人達は脅え、困り果てているのに。

わたしは被害を受けた方から相談され、民生委員の方に連絡を取り、対応するセンターにも連絡をし、さらにセンターの方は保健所の方の支援も要請してくれ、それぞれの担当の方が訪問して根気よく家族を説得してくれ、お爺さんのケアを受けさせ、今は問題行動は収まっています。


もし精神的な疾患に偏見や差別がなかったら、お爺さんはもっと早く適切な治療を受け、家庭内暴力やストーカー行為を働くことは防げたかもしれません。


繰り返しますが、精神疾患や様々な障害に関して、無理解や偏見や差別があること、そのため隠すこと、そうせざるをえない社会にすること、トラブルが起きたときに現実を直視しないこと、自分に関係ないと思うこと、理解しないこと、適切な対応をしない(できない)こと、が一番問題だとわたしは思います。


誰もが、幸せに、お互いを害することなく、生きていきやすい社会にしたいなぁと、それは難しいことだけれど、わたしは願います。