ほしいぬ

書いたり、詠んだり。

自分のかたち(運動感想)

f:id:majyonan:20160503164032j:plain


わたしは健康と美容のため、ひと月ほど前から早起きして運動をすることをはじめた。しかしここ数日は連休を口実にサボっている。


それなのに筋肉痛バッキバキである。いや、サボっているから痛むのだ。時間差攻撃筋肉痛である。ちゃんと運動を続けていれば、新たな筋肉痛に上書きされて、ここまで痛むことはないと思われる。今日こそは再開する。

でも筋肉痛というのは面白いもので、運動しているときは気づかなかった部分の筋肉を実は使っていたのね、ということを知らせてくれる。


体というのは、自分のものであってそうではない。心臓を動かしたり呼吸しているのは意識的にではない。細胞が生まれ死ぬのも意志的にできることではない。

産んでくれたのも育ててくれたのも親だ。

死ぬまで大切にしたい。死ぬその日までは生きなくてはならないのだから、できる限り健康でよりよく生きたい。


苦手なこと(運動)を避け好きなことだけして、せっかくの体をダメにしてしまうなら、苦手なことにこそ取り組んで健康を保つようにしたい。自分はもう変わらないとあきらめていたことを撤回して、変わりたい。良い方へ。それが、運動を始めた理由である。


運動を続けてみると、体のシルエットや身のこなしが少しずつだけど変わってきた。疲れにくくキビキビ動けるようになってきた。体は正直だ。

そして、気持ちも晴れ晴れして、迷うことが減ってきた。とりあえずやってみよう。と思うようになった。体と心は連動している。


自然の中の生き物の体は美しく適切にできている。形も機能も。わたしの体もそうありたい。