ひょんなことから短歌を詠ませていただくようになりました。わたしのは短歌って言っていいのかわからない代物だけれど、大好きな短歌、尊敬する歌人を挙げます。
この暁の よき客人の 忘れ雪
わするるとても ほの明かりせよ
築地正子
です。高校生の頃、朝日新聞で知りました。確か大岡信さんが取り上げたのかな?曖昧です。
もうこの歌だけでいい。これひとつだけ。絶対忘れない。いつも心に留めておく。
どうしてかわからないけれど、そう思ったのをはっきり覚えています。
書きとめて、何度もなんども読み返した。この歌だけ、ただただ、たまらなく好きで、心の特別な場所に置いてしまった。余計な情報何もほしくない。偏屈魂炸裂です。まさに偏愛。
そして築地正子さんについて調べることも無く、幾星霜か過ぎました。
しかし、下手でもなんでも三十一文字、詠むようになったからにはちゃんとしなくては。と思い、とりあえずネットで調べ、本日、築地正子全歌集、を注文しました。
ネットで幾つか見ただけでも、予想通り、好きな歌が沢山あります。
いや、好き、というより大樹を見上げるような気持ちです。なんという沁み入る歌。なんという研ぎ澄まされた美しい歌。なんという孤高の、でも熱い血の流れる歌。
全ての歌にくっきりと陰影があり、深い余韻がある。生そのものの歌たち。
何度もなんども噛み締めたくなる。あまりにも素晴らしい歌の数々に打ちのめされそうで怖い。
大きな大きな大先生の歌集、届いたらじっくり読んで、声に出して、書き写して、学ばせて頂きたいです。
例えばこんな歌を。
忘るべき 昨日のために ほろほろと
散る白萩の 言葉なりけり
人間で あること少しも 疑わぬ
この生を得て 雨降れば傘
桃いくつ 心に抱きて 生き死にの
外なる橋を わたりゆくなり
生きながら 忘らるる人ひとり
ここにもありて 朝粥すする
*写真は、京都下御霊神社の、仰ぎ見るほどの高く大きな百日紅の古木です。白い花が沢山咲いていたけれど、もう夕暮れで、全ては影になっていた。とても威厳のある美しい木でした。