ほしいぬ

書いたり、詠んだり。

近いは遠い

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昨日は誕生日でした。

家族で食事に出かけ、お花をもらってうれしい一日でした。

わたし自身だけではなく、家族皆健康で無事だからこそ過ごせた楽しい時間なので、しみじみとありがたく思います。

元気でいてくれるみんなと、無事に過ごせている偶然と、神様に、ありがとうございますと言いたいです。


つらつらと思うことを書きます。 自分への戒めとして。

わたしは人様のブログを読んで、自分の経験に基づいて、共感を覚えコメントすることがあります。

そのこと自体は、別によくあることです。

しかし、共感というのは曲者だと思います。

なぜなら、全く同じ経験ということはあり得ないし、そもそも別の人間なので、わかる!と思ってもそれは違う思いで、違うわかりです。

それを決して忘れてはいけない。


熊本を中心に大きな地震がありました。被害と余震に苦しむ方々のニュースは、わたしにはとても苦しいものです。

どうしても自分が遭遇した阪神淡路大震災のことを思い出すからです。そして、東北大震災のことも思います。どちらもそれぞれの苦しみがありました。今もなおそれは癒えていません。


しかし、それを基準に、今現在、家族や知人を亡くしたり、揺れに怯え、避難したり不自由な生活を余儀なくされている方々のことを、安易に想像したり語ったりすることは避けたいと思っています。

わたしはわたしにできる形で、支援をしたい。でもそれは、自分がこうだったから、ということだけにとらわれず、冷静に、今何が必要とされていて、何をするのがベストなのか、考えてしたい。


震災に限らず、自分の経験したいろんなこと、特に、辛かったことに触れて共振するように思える事柄に関するコメントは、本当に難しい。それは往々にして的外れだったり、結局は自分語りになったり、とにかく、ずれてしまいがちなのです。それだけ自分の思いが強く出てしまい、主観が強くなるのでしょう。それなのにいかにも相手のことを思ったりわかったりしているような、したり顔のコメント。本当に迷惑だと思います。

…いま、それに該当するのではと思われる自分のコメントがあったので、削除してきました。その時はちゃんと考えてコメントしたつもりでしたが、何日も考えて、削除の方が良いという結論に至ったので。


堅苦しい話になり申し訳ないです。

自分が似たような経験や思いをしたことがおり、心がぐーんと引かれて、距離が近いと思えてしまう記事を読んだときは、わたしはあえて遠ざかるようにしたいと思います。

近いは遠い、を、心に留めておきたいです。

思い込みで、近づきすぎることを防ぐために。ひとのおもいに、土足で踏み込まないように。

どうしても意見を述べたいなら、自分のブログで、きちんと時間をかけて考えをまとめたうえで書こうと思います。


1つ歳をとったので、失敗を繰り返さないように、馬齢を重ねぬように、ここに記します。