ほしいぬ

書いたり、詠んだり。

ここは宝石の国

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*写真はフリー素材です。

 

最近わたしは「宝石の国」という作品を好んで観ている。原作はコミックスだ。アニメーションとコミックス両方ものすごく素晴らしい。アニメーションは毎週楽しみにしている。

作品について語りたい気もするけれども、実際に視聴または読んでいただくのが一番だと思うのでやめておく。

 

少しだけ触れさせてもらうならば、市川春子宝石の国」は、未来の世界が舞台で、そこにはもう人間はおらず、宝石の体を持つ不死の、でも攻撃されれば粉々に壊れてしまう、少年とも少女ともつかぬ美しい存在と、彼らを引率する保護者というか指導者の僧のような存在。天空から攻め込んできて彼らを襲い、壊して月に連れ去る月人。海に棲む貝類やかたつむり、ウミウシのような美しい人の形をした生き物。がいる。

そして彼らはそれぞれ、かつての人間の骨、魂、肉であるという。(アニメーション第4話まで)

 

アニメ「宝石の国」公式サイト

http://land-of-the-lustrous.com

 

作品から離れて、自分のことを話す。わたしはかつて本や漫画やアニメーションが大好きな子供であった。それは長じても続き、現在に至る。

しかし、昔と違って今はほとんどそれらに時間を割いていない。読まなくなった。観なくなった。それなのに好きというのもおかしなことだな、と思う。

好きというのは、それに関わらずには、時間やエネルギーを注がずにはいられないことだ。対象が物であれ人であれ事象であれ。

 

わたしは何に時間を割いているのだろう?生きるためにしなければならないことは山とある。義理もある。それらを済ませてから、自分のやりたいことを順番に並べ、体力や気力を配分して、割り振っている。

家族、音楽、短歌、友人。少しの運動。もうこれだけで、手持ちの時間は尽きてしまうのだ。

はてなブログはてなハイクを読むことにも結構時間を割いている。楽しみであるのでやめられない。

あとは映画や本に、たまに少しだけ振り当てるのがやっと。

 

こんな自分になるとは、思いもしないことだった。大概の人がそうだと思うが、子供の頃は、いずれ自分にも新しい家族ができ、いろんなことに時間を費やし、好きなことが変わってゆくということの想像ができない。

今のわたしは、子供の頃にこうなるだろうと何となく予想していたわたしとは、ずいぶん違う。

でも、それはそれで楽しい。わたしはいま、家の中や外へ出て人と交流し、忙しく過ごすことが、読んだり観たりすることよりも楽しいから、そうしているのだ。

 

それでも、この作品に出会えて、ことことと躍る胸は、子供の頃のようだ。不思議な世界で起こる美しかったり恐ろしかったりユーモラスだったり、嬉しかったり寂しかったり悲しかったりすること。主人公や登場人物の気持ちが生き生きと伝わってくる。

 

そして、「宝石の国」の世界は現実とはずいぶん異なるようだけれども、夕焼け、四季の木々や花々のうつろい、空と雲と風、月星などを見るにつけ、ああここは宝石の国。と思う。みずみずしく、美しいから。

 

人と人との繋がり方も、子供の頃とはずいぶん違ってきている。インターネットと携帯端末のおかげだ。それでも、実際に会って話す人々との繋がりは昔と変わらない。ただ違うのは、会うことのおそらくない人に対しても、とても近しい気持ちを抱くことがある、ということだ。

生きていて、抱く喜び、悲しみ、怒り、考え、迷い、悩み。そういうものに触れる機会が、昔より増えているのかなと思う。ネットのおかげで。

 

それでも、肉体は重要だ。直接のコミュニケーションを大切にしたい。なぜならば、やがてはこの体、わたしの時間が終わる時がくるから。不死ではなく有限の生である。たとえ平均寿命が延びようとも、それは死ぬまでの、生きていかねばならぬ時間が増えるということだ。有難くも、重いことである。

 

生きていくには、しなくてはならないことがたくさんある。そして、生きている間に、したいこともある。

現実の宝石の国で、死ぬまでに、いろんなことをできたらいいなと思う。